62 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ


女流作家、歌人。『枕草子』の作者。 清原元輔の娘。曽祖父は『古今和歌集』の代表的歌人である清原深養父。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙。

現代語訳
夜が明けないうちに、夜明けを告げる鶏の鳴き声をまねて、わたしをだまそうとしても、鶏の鳴き声をまねて門が開いた函谷関(かんこくかん)ならともかく、あなたとわたしの間にある逢坂関は開きませんよ

文法・語
「こめ」-動詞の連用形。「しまい込む」とか「包みこむ」などの意。ここでは「夜がまだ明けないうちに」という意味
「鳥のそらね」-ニワトリの鳴きまね
「はかる」-「謀る」で、だます・いつわるの意。斉の孟嘗君が秦から逃げる際、一番鶏が鳴いた後にしか開かない函谷関にさしかかったのが深夜であったため、食客にニワトリの鳴きまねをさせて通過したという故事から
「よに」-決して・絶対にの意を表す呼応の副詞で、下に否定の語を伴う

逢坂の関 MAP
「あふ」は「逢ふ」。逢瀬と「逢(坂)」の掛詞。「逢坂の関」は、山城(京都府)と近江(滋賀県)の境にあった関所。逢坂の関の通過は許さないということと逢うことと、あなた(藤原行成)と男女の関係を持つことは許さないということを重ねている

※『後拾遺集』詞書及び『枕草子(第136段『頭の弁の、職にまゐり給ひて…』)』によると、清少納言と深夜まで語り合った藤原行成が、翌日に行われる宮中の物忌みを理由に、男女の関係を持つことなく帰ってしまった。翌朝、行成は「鳥の声にもよほされて(せかされて帰った)」と言ってきたので、清少納言は「鳥とは、函谷関の鶏、嘘の言い訳でしょうと言い返した。これに対し、行成は、函谷関ではなく、逢坂の関、あなたとは男と女の関係ですよと反論した。そこで、清少納言は、この歌によって自分に逢うことは決して許さないという意思を表し、行成をやりこめた。ところが、その後に、行成は、逢坂の関は誰でも簡単に通れる関ではないか、つまり、清少納言はどんな男でも相手にしているではないかという内容の歌を詠んだという。